週報 2022年03月29日
ドメイン駆動設計
ここ一ヶ月ほどUdemyの Domain Driven Design & Microservices for Architects という講座を少しずつ観ていたのに加えて、『ドメイン駆動設計入門 : ボトムアップでわかる!ドメイン駆動設計の基本』をこの前買い土曜日に半分ほど(8章まで)読んだことで、ドメイン駆動設計なるものに対する苦手意識はかなり減ってきました。当然まだドメイン駆動設計ができるようになったわけではないのですが、この設計理論が生まれた動機を理解できたことでかなり身近なものになったというところです。Udemyの講座がトップダウンな構成、書籍がボトムアップな構成で、相補的なところが良いです。
去年からお仕事で書くコードで見よう見まねのドメイン駆動設計っぽいものをやってはいたのですが、やはりちゃんと勉強すると全然違いますね。他の人との話が通じるし、本や記事も読めるようになる。そして、有名どころを学ぶことで「変な道に逸れていない」という安心感が得られるというのが意外な効用でした。これはおそらくYouTubeでの無料の講座(あるのかは知りませんが)ではなくUdemyだから得られたものなのでしょう。出版社と同じく、多人数の目を通すことで信用を与える編集の機能がUdemy等の動画講座サイトにはある(あるいは求められている)のかなと思いました。
イギリスの貸本屋の話
先週の週報にも書いた『図説ヴィクトリア朝百貨事典 新装版(ふくろうの本)』ですが、これに少し面白い話がありました。
貸本屋はそうした高価な本を一般の人々の手の届くものにし、読書の民主化を推し進める大きな原動力となったが、なかには出版の傾向や売り上げまで左右するほどの強大な力を誇るものさえ現れることになった。それがチャールズ・エドワード・ミューディ(1818~1890)のミューディーズである。
ミューディは、一八四〇年からブルームズベリーのサザンプトン・ロウ(当時アッパー・キングズ・ストリート)で新聞販売店を営んでいたが、一八四二年、思いきって業務を貸本業だけに絞り、ミューディーズこと〝ミューディの精選文庫〟を発足させたのだった。年会費は一ギニーで、それさえ払えば一度に一冊、年間何度でも借り出すことが出来た。当時貸本屋の年会費は四~一〇ギニーが相場であったから、ミューディーズは格段に安く、しかも〝精選文庫〟と銘うったように、かれの選書は自身の厳格な会衆派教会の信仰を反映して、家族そろって読むのに相応しい健全なものに限られていた。これが時代の厳めしい風潮に適い、一八五二年までには、ニュー・オクスフォード・ストリートに大きな新店舗を構えるほどの繁盛ぶりを見せることになった。
ミューディーズの圧倒的な人気は、大量の本を仕入れる代わりに、定価の三分の一~二分の一という破格の割引を出版社に吞ませることを可能にし、出版社の多くも一度に数百~数千という部数を買い取ってくれるミューディーズだけを相手に本を出版するような異様な事態を生むことになった。しかも、ミューディーズはつねに『スペクテイター』誌や『アシニーアム』誌などに毎週新着本のリストを仕入れ部数とともに広告したから、出版社側もあえて自ら新刊書の宣伝を大々的に打つ必要などなかった。ミューディーズの広告を見れば、今どんな本が話題となり、人気があるかなど一目瞭然だったのである。つまり、これはほとんど売れる本、売れない本を決定する権限をミューディーズが一手に握っていたというのに等しかった。むろん、ときにはミューディーズの選書が公平を欠いていると文句をつけるものがいないわけではなかった。そうした声に対して、ミューディーズ自身『アシニーアム』誌(一八六〇年一〇月六日号)に悪びれた色もみせず、次のように答えている。「二〇年ほど前この文庫が設立された際の名称(ミューディの精選文庫)が暗に言っているのはこういうことだ。つまり、人々はそのことを知っているからこそ、どんどん会費を納めてくれたということだ。人々は明らかに自分たちとたちの悪い文学の洪水とを隔てるある種の障壁を欲しがっているのである」と。
―― 『図説ヴィクトリア朝百貨事典 新装版(ふくろうの本)』133~134ページ「ミューディーズ」の項より
昨今、SNSや電子書籍の分野に於いて、所謂「プラットフォーマー」の影響力の高さが検閲のように働くことを憂慮されていますが、それに近い状況が150年前には既にあったというのが面白い。これはITの時代だからこその話ではなく、資本主義経済ではよくあることなのでしょう。
思想や言葉の流通の過程で何らかの選別がどこかの層で働くことについては、上で「編集」の役割として書いたように悪いことではないと思います。言ってみれば、今や表現の自由を守る側っぽい顔をしている気がする出版社にしたって、「○○社で出版拒否」みたいな事案は無数にあったことでしょうし今も当然あるはずです。それが問題になりにくいのは、やはり代替がある(出版拒否されたら別のところに持ち込めばよい)という事情があるからでありましょう。主に寡占市場の問題である、と。すると、この出版不況の中、出版、印刷、取次等のどこかの業界で統廃合が進み独占・寡占市場が形成され1、覇権を握った会社が選別を行おうとすると紙の本でも同じ問題が起き得る訳ですね。あり得そうな気も……。
独占禁止法に「民主主義を守る」なんて大層な役割が付される日も遠くない……かも?
KOTOKO
この前ふと『Immaginary affair』が聴きたくなって、KOTOKO「Imaginary affair」(LIVE) - YouTubeを観て、胸が詰まり泣きそうになり、KOTOKO’s GAME SONG COMPLETE BOX”The Bible”を買いました。
最初に『Immaginary affair』の入っている4枚目を聴いたのですが、『Immaginary affair』が良いのはもとよりとして、その1つ前の『Sledgehammer Romance』で「若さ」のようなものを強く感じ、それに当てられて人生について考えていました。「人生どうするん?」というやつです。
思えば信じたくないことにもう26歳なわけで、単に「○○2を倒す!」とだけ言っているだけではだめで、その雑な目標の中から本当にやりたいことを抽出して計画的に動く必要があり……。いやまあ本当はもっと昔からそうすべきではあったのですが……。「エンジニアとしてのキャリアパス」とか会社で聞くとほんともうどうしたものかという気分になります。幸い、ここ1年の会社での経験で計画的に物事を進める能力については飛躍的に向上したし、見える世界も相当広くなったと思っているので、具体的に進めていきたいところです(「と言ってから半年経った」? はい…… 〆切がないと進まないし〆切があると精神にダメージが入って余計進まないのが根源的大問題なことはわかっているのですが、どうにかなるんですかねこれは)。
「ここから見える明日にエールを贈ろう」と。